この社会の片隅に ~In this corner of the society~

天涯孤独・社会的孤立状態のアラフィフおじさんが、投資と在宅ワークでセミリタイアを目指す日誌

氷河期世代とシン・エヴァンゲリオン

シン・エヴァンゲリオン見てきました(以下ネタバレ含む)

正直言うと自分は新シリーズは何となく敬遠していました。セックスピストルズの再結成と同じ蛇足感というか、ハチャメチャでテンション高いまま終わらせた方が美しいのになぁという個人的な願望があった為です。

ただレビューの評価が高かった事もあり、序からQまで一気に見た上で劇場に足を運びました。完成をまだかまだかと待たされ続けた人からしてみれば恵まれた視聴の仕方をしたかもしれません。

専門用語を並べ立てて煙に巻く作風やシリーズを通してのメッセージ性などは旧作と驚くほど同じなのですが、年を重ねたせいもあり昔ほどには感動しなかったです。ただ旧作よりはうまくまとめたなという納得感もありました。

総じて評判は良い今作ですが、旧作をぶん投げと感じた人・エヴァにある種の回答を求めていた人は「何年も待たせて同じかい!」と思ったかもしれませんね。そんな事を考えていたら、まとめブログ経由でこんな匿名エントリーをみつけました。

 

anond.hatelabo.jp

 

旧作は「オタクよ目を覚ませ!」とアジテーションする一方、現実と戦った先に救いがあるのかまではあえて提示しなかった訳です。会社が完結後もエヴァのグッズで儲けていた事にも矛盾を感じなくもない。

挑発的だった庵野監督も老齢期に差し掛かり、前より少しだけ丁寧な口調で「オタクよ現実に向き合いませんか?」ともう一回言いたかっただけとしたら、意地が悪いと捉える人がいても仕方ないかなぁと思います。

ただ監督だって努力せず今の地位を築いた訳ではない。自分の会社を持った事で社員を養う立場となり、パチンコ化や不動産投資など多角経営に手を染め、尚且つ自分の弱い部分やオタクとしての出自と向かい合ったから今がある。

丁度旧作公開当時が思春期だった、氷河期世代の辛さは自分も共有するところではありますが、今後貧困化が進めばアニメ制作者もどんどん中国に流出するでしょうし、フィクションに救済を求めるようでは厳しい結末が待っているのではと思います。

 

匿名投稿だから仕方ないのですが、何より旧作からの26年間筆者が何をしてきたのかがこの文章からは全く読みとれない。エヴァがない時は異世界転生もの・死んだら突然チート能力が身に付く物語ばかり消費してきたのではと勘繰りたくなる。

 「当時のオタクは生活の余裕から大人にならない選択をした」という指摘は鋭いと思いますが、年収300万では結婚できないと愚痴る所はいただけない。庵野監督がこの文章を読んだら「そういう所だぞ」と嘆息を漏らす事でしょう。

他者への思いやりがない・同世代にはもっと厳しい生活をしている人がいる事に想像力が働かない。世界が貧しくなってもそれこそ冒頭の第三村のシーンのように質素ながらも地に足を付けて寄り添って生きる人生もあるのではと思うのです。

その癖「氷河期世代」と「上級国民」の対立構造に落とし込んで、他者の共感を得たいという下心も透けて見えるのが個人的には不快でした。自己憐憫の為に流す涙はあっても、他人の為に流す涙はないんだろうなという感想です。

 

(ただ冒頭は貧しくても子供を産み、共同体全体で面倒を見た復興期のオマージュとも取れます。そう考えるとバブルを経て拝金主義と個人主義に侵され、再び貧しくなろうとしているのに価値観を更新できない日本には厳しいかなとも思わなくもない。

身も蓋もない言い方をすれば、村社会を大人=自分だけでなく周りの事も考える人の象徴として描くなら、老若男女問わず今日本に生きる人の多くが子供に分類されるだろうと思います。)

 

jp.ign.com

 

エヴァのレビューとしてはこっちの記事の方が読み応えがあります。初見の感想は良くも悪くも変わっていないなぁと思いましたが、前作と違うポジティブな部分が分かりやすく整理されており、読んだらもう一回劇場に行きたくなりました。

誰もが庵野監督なみの地位と名声を手に入れる事は不可能。それはフリーターが今から野球選手になりたいと言って無理なのと同じです。今更と嘆きながら余生を過ごすのか、それでも一歩踏み出すヒントを映画から感じ取れるか否かだと思います。

ラストシーンも最初は意味が分かりませんでしたが、シンジがエヴァの呪縛から逃れた世界で大人になり、電車(負のループのメタファー)を降りようとマリの手を引く(主体的に動く)という解釈で合っているなら、まだ旧作よりは分かりやすいかと。

 

gendai.ismedia.jp

 

この記事を書いている最中、今度は逆に「39歳子持ちの視点で見たら楽しめなかった。自分が通り過ぎてきた道だった」なんてマウント取りに来る論評が出て、ネット社会のいつもの地獄絵図というか、みんな自分語り大好きねぇという諦念を感じます。

こういうのは太宰治の小説と同じで、必要な時期に必要な人に届けばそれで十分だと思うんですけどね。自分にとっては旧劇場版がまさにそれだったので、庵野監督が枯れた芸風になっても感謝の気持ちは未だに持ち続けています。